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ホロコースト生存者がパレスティナ人権活動家になったわけ

ホロコーストの生存者であり、確信的なパレスチナ人権活動家でもあるエディ・エプスタインは一部の人々にとっては矛盾しているように見えるかもしれない。 1924年、ドイツのフライブルクに生まれたエプスタインは、14歳の時にナチスの迫害から逃れ、Kindertransport(子ども輸送団)を通し てイギリスへと渡った。その後1948に米国へ移り住んで以来、平和、人権の擁護を主張し続けてきた。

2001年にイスラエル発祥の反戦グループ、”Women in Black”(黒衣の女性達)の支部をセントルイスで立ち上げたエプスタインは、2003年にヨルダン西岸地区を訪れたのを契機にして、パレスチナ権利擁 護の活動を始めることとなる。この十年間に及ぶ活動の節目に彼女は、女性による平和擁護団体”Code Pink”とともに「ガザ・フリーダム・マーチ」へと合流した。イスラエルによるガザ封鎖に抗議する非暴力デモとして企画された12月31日のデモ行進 は、世界各国の賛同者とパレスチナ住民らがともにガザ-イスラエルの境界に築かれた検問所へ向けて行進するというものだった。しかしエジプト当局は集まっ た1300人の抗議者全員の通過を拒否し、封鎖に抗議するメッセージを携えた100名のみがガザへの通過を許された。ガザ・フリーダム・マーチを前に足止 めを食うエプスタインは、イスラエルでの経験、ホロコーストの生存者がイスラエルを批判することの葛藤、そしてガザ・フリーダム・マーチについて当紙に 語った。


*どのようにしてイスラエル-パレスチナ問題に関心を持ちましたか?

「私はドイツに生まれたユダヤ人です。アドルフ・ヒットラーが権力の座についた時、両親はドイツが家族を養うのに適当ではないと早い段階で察知し ました。世界のどこへでも喜んで行く気であった両親が唯一行くことを拒んだのがパレスチナです。彼らは反シオニストでした。子供だった私にはそのことをよ く理解してはいませんでしたが、私の両親が反シオニストであれば、私も反シオニストでした。私は1948年に米国へやってきました。そしてほぼ同時期にイ スラエルが建国されましたが、そのとき二つの交じり合った感情を抱きました。一方で、イスラエルは帰る家を失ったホロコースト生存者が移り住むところであ るということ。そしてもう一方では熱烈な両親の反シオニズムを尊敬していました。米国での新たな生活の間に、イスラエル-パレスチナ問題に対する私の興味 は下火になっていったのですが、1982年にレバノンのサブラとシャティラの難民キャンプで起こった大虐殺を耳にしたとき、誰のせいでこのようなことが起 こり、1948年から1982年の間に何が起こっていたのか知りたいと思いました。そして学べば学ぶほど、イスラエルの政策やイスラエル国防軍に対する怒 りが込み上げてきたのです。それからヨルダン川西岸地域を最初に訪れたのが2003年で、それ以来5回、かの地を訪れています。

ガザへ向かうのは今回が3度目の挑戦です。最初はガザ解放運動の時で、イスラエル海軍による海上封鎖をボートで抜ける直前にキプロスで高温と湿気 のために、病気になってしまいました。二度目は私の身の危険を気遣うガザ解放運動のメンバーの意見に従って、彼らとともには行きませんでした。その後 2009年の6月にガザ入りする予定でしたが、その前日に私は襲撃に合いました。空港からの帰り道に襲われたのですが、私を狙ったものであるのかどうかは わかりません。ただ私のスーツケースと財布のどちらも盗まれませんでした。」


*なぜ今回Code Pinkと共にガザ・フリーダム・マーチへ参加しようと決心されたのですか?

「少し以前よりCode Pinkについて知ってはいました。そして彼らのガザを目掛けたデモ行進の企画を知ったとき、私も行こうと決めました。過去二回の挑戦は成功しませんでし たが、三度目の正直です。エジプトの当局からラファの国境は通過できないと通達がありましたが、それからまもなく制限つきで通過が許可されました。私たち は更に前進します。一歩、更に一歩と。そして結果私たちが入れなかったとしても、そのことがとても大きな主張になり得るのです。」


*非暴力的で直接的な行動に対して、イスラエルはどのように応じると思いますか?

「わかりません。彼らも非暴力的であることを望みます。私がヨルダン川西岸地区へ行く前、そして滞在していた時にも、パレスチナ住民から恐ろしい 眼に遭わされるぞ、と言われたことがありますが、私を守ってくれたのはそのパレスチナの住民です。2006年にラマラ近くで、イスラエル軍の爆撃で聴覚を 一時的に失った時、私の近くにいたパレスチナの人々はとても心配してくれました。私がデビッド・ベン・グリオン空港で身体の隅々まで調べられた時、私はテ ロリストで安全上リスクがあるといわれました。80歳のおばあさんがテロリストですか?性器に爆弾を隠しているとでも言うんですかね?」


*近い将来イスラエルが平和になることは可能だと思いますか?

「近い将来にはないでしょう。私は執念深い楽天家です。そしていつか平和は訪れます。ただその前には多くの変化が必要です。もし一夜のうちに占領 が中止されれば、世界の様相は一変します。イスラエルは世界で4番目の軍事大国であり、パレスチナの人々に向かって使用される彼らの武器は最新鋭です。ま た、米国がイスラエル支援を中止することも、平和をもたらすもうひとつの手段です。米国はとてつもなく大きな問題を抱えている国です。人々は失業や家を失 うといった憂き目に晒されています。海外で破壊のために使われるお金を建設的に使うべきなのです。私たちは人々に”何をすべきか”と言う代わりに、人々が 望むことを為すべきなのです。」

-ダニエル・シーガル

http://latimesblogs.latimes.com/babylonbeyond/2010/01/israel-gaza-holocaust-survivor-hedy-epstein-explains-why-she-became-palestinian-rights-activist.html#more

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